道議20年の任期を終え、これまでの実績と、再出馬となった経緯と「繋ぐ」思いを聞いた。

道議20年の任期を終え、これまでの実績と、再出馬となった経緯と「繋ぐ」思いを聞いた。

2023年4月の統一地方選挙を前に

インタビュー:中司 哲雄(なかつかさ てつお)
北海道議会議員


 初当選から20年。酪農家出身の北海道議会議員として、地域の声を道に上げ、北海道議会のテーブルに上げ続けてきた。実現したこと、つまづいたこと、様々あったことは想像に難しくない。
道議会議員として、4月に行われる統一地方選挙への再出馬を決めた氏に、今の心境を聞いた。


これまでの任期中に地域に対してどのような成果をあげられてきましたか

 今回で5期20年が終わるところです。成果と言っていいかどうかわかりませんが、唯一酪農出身の議員ということで、酪農の経営安定を一番の課題としてこれまできました。

 道に提案をし、その提案を国の方に上げさまざまな事案について実現をしてきました。伊東先生をはじめ代議士の方々が中央でしっかり行政を進めてくださっていましたので、何とか役割を果たせたと思っていましたし、頑張ってこれたかなと思っています。しかし、昨年からは本当に残念な状況にあります。そのような中にあって、戸数の減少や人手不足の中で生産を維持するために、自動化や大規模化など、道や国の施策として出ていることは進めてこれたと思います。

 漁業もこれだけサケが獲れなくなってきている中で、現場はやはり様々な方法を考えます。それを道に上げ、例えばふ化場の整備や、それから中間養殖という施設を作りたいということで、道費や国費など補助金をもらえるよう働きかけをしてきました。直接的な成果ではありませんが、去年少し秋サケが戻ったのはいい傾向ですし、明るい話題のひとつだと思います。

 自然が相手ですからなかなか人がどうにかできることではないのですが、道の水産試験場や水産庁と協議しながらできることをやっていこうと進めています。

 また、教育環境をしっかり整えないと次世代が育たないと考えていたので、幼児教育から環境を整えていこうと活動してきました。道がそれに応えてくれ、幼児教育センターや、その後の幼稚園や保育所と小学校を繋ぐところまで進んできました。まだまだこれからですし、もっと少し上の段階までしっかりと繋ぐことをしなければいけません。

 受動喫煙防止条例も策定しました。私どもが超党派で制定委員会を作り、私はその委員長をやっていたのですが、同じ道議の中に抵抗する方もいたのでなかなか議員提案はできませんでした。しかし、道が引き受けてくれ条例を作ることができました。結果的に道議会場の周辺では一切喫煙できないようになりましたし、皆の意識に働きかける効果があった条例ではないかと思っています。
さらに、飲酒運転防止条例の政策審議会というのがあり、小樽で飲酒運転の事故があった時に、条例が必要だということで飲酒運転防止条例をつくりました。当たり前のことではありますが、法律よりももっと細かく注意事項など決め抑止する条例にできたと思っています。

 北方領土に関しても、地元の千島連盟の方たちと一緒に様々な場面で訴えかけをし、何とか運動の輪を広げようと進めてきました。まずは国民皆が北方領土問題があることをしっかり踏まえてもらいたいという思いで、活動に参加をしてきましたがなかなか進展していないのが現状です。

 根室市選挙区は人口が減ってきて維持ができないので、今回の選挙は別々だけれども、その次は合区になると方向づけされています。
改選後に定数検討委員会が設置され、その中で議員定数である100を減らすのか増やすのか、また維持するのか、選挙区についてはどうするかを検討しますが、合区になる一番の候補となっているのが根室市です。ただ北方領土問題のことを考えると、根室市は特別の特別だと考えています。常に運動の先頭に立つのが根室出身の道議でもあるし、そういう意味でも北海道議会として、他の選挙区とは違うという主張だけはしっかりしていかなきゃならないと思っています。

 北方領土問題は、北海道として一番の問題なんだということをアピールできたらと思います。

1度引退する旨を公表されましたが、今回の立候補についてお聞かせください

 20年に渡ってやってきたのと、75歳になる節目の年だったのもあり引退しようと思いました。早い方が次の方が名乗りを上げやすいだろうということで、前回出馬したときの選挙戦の中で、次の方にバトンを渡すのは自分のこれからの4年間の役目だと公言し、早めに引退声明を出しました。

 その時には、少なくとも8月か9月には次の候補が決まり、自分の後継者だと挨拶回りをしようと考えていましたが、残念ながらそうはなりませんでした。

 簡単ではないという思いが皆の中にはあるのだと思います。公募にすれば何人かが手を挙げてきた可能性はあります。私が初出馬した時もそうでしたが、各町から手を挙げる方法が一番いいかと思いました。

 選挙をおこなうには、一緒に戦ってくれる仲間が地域の基盤にないとできません。4月にすぐ選考委員会を作って主立った人たちに集まってもらい選考委員会を立ち上げ、各町で協議し、それを持ち寄って検討するという作業を繰り返しました。

 しかし、候補とすべき人が提案されず、それであれば私の方から指名させてもらってもいいだろうかと話をさせていただきました。誰が見ても適任者だというある方と交渉に入りましたが、最終的には本人のやりたいことや思いがあり、本人の同意をもらうことができず、結局私にもう1期やって欲しいとの強い要請に応じざるを得なくなりました。

 結果から考えても、年数から考えてもやはり20年は長すぎるし、なにより1度辞めると公言したにも関わらず、また出るのかという批判は当然あると思っています。引き際を決断をし、それを評価してもらったのにどういうことなのかと。後援会長も一番心配したのは、選挙民がどう思うかなんだということでした。

 今後は「繋ぐ」ことを第1に考えなければいけないと考えています。現場と政治を繋ぐということがひとつです。

 特に酪農がこのような情勢になってきた時に、これからどういう戦略でいくのか、どういう方向性に酪農を持っていけばいいのかを皆で考え、国に実現してもらわなければいけません。現場には多くの課題があるので、それをひとつひとつ実現できるように行政と繋ぐ役割を全うしたいと思います。

 現在、地域が一体となって取り組んでいこうという空気が強いので、これを活かして、地域を繋ぎながら地域の力を出していくのが自分の役目だろうと考えています。

 さらに、もうひとつは次の時代・世代へ繋ぐことです。4年間でそれをできなかった反省を踏まえて次代にしっかりと繋いでいくことが大切だと感じています。もしこれからの4年を担わせてもらえて、繋げることができれば、自分としては今度こそ役目を果たせるかなという思いはあります。

 後援会組織も全体的に変わります。20年間応援してくれた人たちももういいだろうということで交代することになりました。

 各町で後援会があるのですが、これを機に組織全体として管内1本になるような後援会組織にすれば、次の世代の選挙のときにそれが活かせると考えています。

 1度辞めることにした人間ですが、昨年引退表明した時に比べ、酪農情勢の悪化やロシアのウクライナ侵攻、長引くコロナ禍で地域として大変な時期なので、経験と人脈を生かしてやって欲しいと要望があったので、今回再出馬することを決断しました。

(取材/2023年1月10日)


 引退表明してからの4年間、議員としての活動がある中、次の候補者を探すのに紆余曲折あったと思われる。氏の思いとは裏腹に再出馬することとなり話を聞いた今回、「繋ぐ」という言葉が多く聞かれた。
 各町同士を繋ぐ。町と道を繋ぐ。産業を通して繋ぐ。そして人を繋ぐ。
選挙後、どう繋いでいくのか、有権者である地元住民は、時には優しい目で、時には厳しい目で見守っていくだろう。