地域の産業を支え続け100年。大正から令和、そして未来へ

地域の産業を支え続け100年。大正から令和、そして未来へ

創業100年・営業所70年のあゆみ

長い歴史を紐解き新たな挑戦を聞く

インタビュー
髙桑 裕次(たかくわ ゆうじ) 株式会社ケイセイ 取締役社長
田村 浩一(たむら こういち) 株式会社ケイセイ 取締役事業所長(中標津事業所)

株式会社ケイセイ 取締役社長
髙桑 裕次 氏

株式会社ケイセイ 取締役事業所長
田村 浩一 氏


長く道東の農林業を支えてきた株式会社ケイセイが今年100周年を迎える。創業と時からこれまでの歴史と、これからどのような事業展開、をおこなっていくのかを聞いた。


創業からの歴史を改めて振り返ってお聞かせください

中標津事業所は、昭和29年(1954年)に出張所を川北に置き、その後昭和35年(1960年)に中標津にチップ工場を新設しました。川北出張所の時代より数えて、今年で70年になります。当初は木を切り、川を利用して運搬するのが主な事業でしたが、造材事業だけではなく加工事業に転換する必要があると、いち早く転換し移ってきたと聞いています。

そもそもは、大正13年(1924年)に創業者である佐野恵策が樺太で佐野造材部を創業したのが、当社の始まりで、創業より今年で100年になります。当時は初代王子製紙の依頼で原木を納品していました。昭和10年(1935年)には馬力と流送による造材の搬出が常識だった時代では画期的だった、トラックによる搬出を導入。徐々に台数を増やし、運輸会社を興すまでに発展しました。

大正13年創業 佐野造材部(写真提供 株式会社ケイセイ)

しかし、第二次世界大戦の終戦時に強制的に引き揚げを余儀なくされ、当時の取引先の勧めで、陸別町で新たに素材生産の事業を始めました。今回100年史を作る際に当時のことを知る人からは、昭和20年(1945年)、収容所への輸送時に走行中の列車から飛び降り、ソ連兵より銃撃を受けながら命からがら脱走した人もいたと伝え聞いています。

その後、本社を帯広に置き、陸別や上士幌、白糠、標津町川北、根室市、札幌市などに営業所や出張所を置き、青森県陸奥市(今のむつ市)や宮城県白石市にまで進出するようになり、十條製紙(現在の日本製紙)へ納品するチップの生産をおこなっていました。

その後、木材加工に踏み切るため、製材工場を作り、造材、造園、建材、建築など木に関するあらゆる事業を扱うまでに発展しました。昭和末期にはは100億円を売り上げるような大きなグループ企業になりました。

しかし、時代の流れもあり木材業では十勝で1番を誇った時代から、厳しい時代へと移りかわり経営が困難な状況にまでなりました。そこで徐々に縮小し、現在は、木材関連事業は縮小となり、飼料が売上全体の8割を超え、主力の事業となりました。現在では森林と公園を守り、畜産を支える総合商社となり今に至っています。

飼料以外では、酪農関係の牧柵やカーフハッチ(仔牛用の小屋)などの木製品の製造・販売と、造林と造園、チップ製造です。

その他、13年前より帯広市が設置した「帯広の森・はぐくーむ」という森の育成管理・利活用の施設を拠点に指定管理業務も行っています。

長年、地域材の有効利用の推進と、木材産業の活性化に取り組んできたことが評価され、令和3年に北海道産業貢献賞の森林づくり功労者として表彰されるなど、当時の社長である現会長(佐野公彦氏)が様々な形で表彰を受けました。

100周年に向けて予定されていることはありますか

100周年に向けて、地域貢献も含め様々な形で記念事業を進めていく予定で、100周年プロジェクトチームがいくつか組まれています。どういうものが地域の皆様に喜ばれるかを検討しているところです。
各地域に、何か寄付しようかと考えています。また、歴史を紐解き後世に残しておきたいということで、記念誌の作成も予定しています。
大々的におこなうイベントは予定していませんが、貢献してくれている社員で集まってお祝いをしたり、社内で講演会を開こうかと考えています。

事業の縮小があったとありましたが、多くの苦難をどう乗り越えてこられたのでしょうか

事業転換をして、安定させることが一番苦労したと思います。現在の主力事業である飼料部門は、ちょうど50年前に事業が始まりました。きっかけは製材の時に出るおがくずを活用する方法を探していたところ、飼料化に成功した広島県の会社から技術提携を受けたことでした。芽室町に工場を設け製造がスタートしましたが、冬はおがくずが凍ってしまうことが妨げとなり、その後、仕入れ販売へと切り替えました。

当時の畜産はまだ小規模なところが殆どな上、放牧が普通で、飼料を与えるということはあまり普及していなかったと思います。

そのような中で、飼料メーカーと協力し、粗飼料を含んだ配合飼料の販売や、家畜の成長に合わせて与える飼料や、量を計算する飼料設計を取り入れたことは当時の道内では、画期的だったと聞いています。

配合飼料を与えることで生産性が上がることをこつこつと伝え、売る機会を得ることができたのは、時流にうまく乗れたこともあったかもしれません。

その頃はまだ当社も木材が主流の事業でしたから、軌道に乗らない事業ならやめた方がいいのではないかという声も社内ではあったようです。これまでの知名度も手伝って現在メイン事業になっているのは、必然的な偶然だと思っています。

現在でも一軒ずつ地道に訪問し、農家さんに餌を売っています。今は飼料を売っている企業が多く、競争ですから、信頼を得るための徹底した営業方針で行ってきました。それが結びついたのかなと思います。

髙桑社長は昨年就任されたとお聞きしましたが、今後どのような経営を行っていこうと考えられていますか

ようやく体力も付いてきたので、これからは明確な目的意識を持ってやっていきましょうということで、新たな経営計画を立て、立ち止まらずチャレンジをしていこうと考えています。経営理念とか社是、行動指針は昔から変わりません。それを基にして、さらに地域に支持され信頼されるために地域経済に寄与する企業とならないと生き残れないと思っています。

金儲けばかりに焦点を当てる企業はいつか立ち行かなくなる可能性があります。しかし、弊社はそのような企業文化ではなく、また利益主義の会社でもありません。私たちは、優れた面を伸ばし、信頼される企業になることを目指しています。そうして、地域社会にどのように貢献できるかを考え、それに焦点を当てています。

例えば最近では、脱炭素に焦点を当てています。少し大胆に考えて、森を保護することも含め検討してみようと進めているところです。

木を切ることで会社は繁栄しましたが、森林を育成していくといった部分に関しては充実していなかったように思います。林業を行っていること自体が社会に寄与していると考えられる会社でありながら、伐採だけで森林を荒廃させてしまい、それで終わりになっていた可能性があります。これはこれまでの高度経済成長の頃から変わっていなかった部分だと思います。

一度そこに立ち返って、やはり森林を育てるためには木を植えなければならない、水源もちゃんと保全しなければならないということを先代の社長が、おっしゃっていたことを再認識させてもらいました。
現在、造林という部門があります。実は植樹をおこなう業者があまりありません。管内でも数社しかありません。我々はやはりその強みを生かして強化していきたいと考えています。ただ、需要があるのに、業者が少ないために受けられない状況が続いています。そこで我々が、もっと企業体力をつけて受け、脱炭素の世界を作るお手伝いになればと思います。

飼料もただ牛の餌を売るのではなく、牛の健康のために、そして牛が安らかに暮らしていけるような商品を作ることができないかを模索しています。おがくずの敷きわらの供給や、牛のゲップを減らし、健康にも良い餌をメーカーに提案して一緒に開発するなど、進めているところです。
また、帯広の森の指定管理業務でも単なる作品として木の施設や設備を作るのではなく、子どもたちが安心して遊べるような安全なものを作る。

芝刈りひとつとっても何のためにおこなっているのか、必ず理由がありますから、使命感と志を持ち、適性な利益を得ることができるような企業として社員には仕事をして欲しいと思います。
また、コンプライアンスが最優先だと考えています。社会のルールに沿い、倫理観を持っていかなければどこかで行き詰まってしまいます。そこを理解し事業を遂行できる人材をどう育成できるかがこれからの課題です。

ある意味、この業種の人材は職人でもあります。しかし、職人であるがためにチームとしてお互いに助け合っていくことが難しいことも今まではありました。これを今後企業風土としてお互い無関心ではなく、意識して対話し風通しをよくして、チームとして、企業である以上組織として動くよう意識改革ができればと考えています。

もちろん、企業として社員を大切にし、体力のある限り待遇も良くしていきたいと言葉に出し明言するようにしています。

(取材/2024年1月18日)


人手不足や資材の高騰による経費圧迫など、まだまだ乗り越えなければいけない課題が多くある中、常にチャレンジし続けることは過去もこれからも必要なのかもしれない。


【沿 革】

大正13年10月 樺太恵須取町において佐野造材部創
昭和20年8月 終戦に伴い事業を閉鎖
昭和21年9月 引揚後、陸別町において素材生産業を再開
昭和29年5月 恵盛木材株式会社 設立(本社を帯広、営業所を陸別、上士幌、白糠標津に置く)
昭和32年 新得町屈足出張所 開設
昭和33年10月 上士幌町にチップ工場を新設
昭和35年11月 中標津町にチップ工場を新設
    12月 恵盛運輸株式会社 設立
昭和39年8月 陸別町にチップ工場を新設
昭和40年7月 中標津工場に製材工場を併設
昭和42年6月 福島県福島市に東北出張所を新設
昭和43年1月 恵盛建設株式会社 設立
昭和44年10月 宮城県白石市にチップ工場を新設
昭和47年1月  青森県むつ市にチップ工場を新設
    10月根室市厚床にチップ工場を新設
昭和48年2月 粗飼料製造販売のため芽室町に工場を新設
昭和51年1月 共進緑化株式会社 設立(緑化・造園・土木工事部門)
昭和53年6月 青森県むつ市に泰成林業株式会社 設立(素材生産事業)
昭和60年5月 株式会社ケイセイ船場 設立(商業施設の企画・設計・施工・監理)
昭和61年4月 飼料部 中標津営業所 開設
平成2年11月 飼料部 豊富営業所開設
平成4年4月 株式会社ケイセイに社名変更
平成22年4月 帯広の森・はぐくーむの指定管理者となる

※資料提供/株式会社ケイセイ「沿革」より抜粋

【企業情報】
株式会社ケイセイ
<本社>
電 話 0155-22-7111
帯広市東5条南7丁目1番地3
<中標津事業所>
電 話 0153-72-3258
標津郡中標津町緑ヶ丘7番地12