町のために自分たちは何ができるのか
持続可能な地域づくりに挑戦する若者たちの活動
「しべつ未来塾」について聞いた。
仁科 斎(にしな いつき)
竹村 勇一(たけむら ゆういち)
齋藤 智美(さいとう さとみ)
蔭山 早苗(かげやま さなえ)
どのような団体ですか?
仁科 「標津のまちづくりと青年同士のネットワーク構築」を目的に、青年・女性の異業種間の交流をはかり、次世代リーダーの育成を目的に設立された団体です。結成から7年が経ち1期3年なので私たちは令和2年4月からスタートした3期生で現在12名で活動しています。標津町内に在住または勤務されている年齢が20歳から40歳までの方、そして町に愛着を持っている方、地域活性化のために仲間と活動したい方など、当てはまる方は誰でも参加が可能です。
どのような活動をしていますか?
仁科 今年度はコロナ渦で何かできることがないか、標津町も経済的に冷え込んでいるところもありますので、何ができるのかを今まさに知恵を絞ってやっていこうというところです。
1、2期生が関係人口の創出ということで町外にもつながりを作っていこうという活動をしていて、私たちも今年度はコロナの影響もありますので、近場で行けるところを検討しながら津別町に行ってきました。津別町は地域おこし協力隊が町を盛り上げているということで今話題になっていて、空き家を使ったリノベーションですとか、道東テレビが盛り上がっていますので、標津でもメディアを使って、町を盛り上げていきたいという思いもあり視察にいきました。
町内の活動では、標津高校の生徒会さんを中心に制作した、避難所運営を模擬体験するゲーム「HUG」のオリジナル版を用いた、標津中学校防災教育出前授業の運営もサポートさせていただきました。
未来塾に入ったきっかけは?
蔭山 私は東京から移住してきて今年で5年目になりますが、牧場に嫁いだということもあり、今までは家の仕事ばかりであまり町を知る機会がありませんでした。子供を産んだのをきっかけに、この町で育っていくことを考えると、私自身がこの町をもっと知らなければいけないのではないかと思うようになりました。
まだ子供が小さいので意識を持って学ぶということはできませんが、私が活動に参加して学んでいる姿を見ていてくれることによって、この町ってこういうところなんだとか、こういうことができるんだということを知っていって欲しいと思い、今年度から参加させてもらうようになりました。
齋藤 私も移住者で結婚して標津に移住してきてから、少し観光関係の仕事に携わりました。そこで標津の魅力や1万年歴史があることも知り、この町を残していきたいという思いが生まれました。
1万年続いてきた歴史のある町ですが、どんどん人口減少していて、生産人口もどんどん減っていて、この中で何ができるかなと思ったときに関係人口をテーマにした未来塾の活動に参加しようと思いました。未来塾で持続可能なまちづくりのための活動がしていきたいです。
仁科 僕は地域おこし協力隊で標津町に来たのですが、今勤めている標津サーモン科学館で働きたいという思いがあったのでサケの飼育に関しての勉強はしてきました。しかし、地域おこしということは全然わからず協力隊に入ってしまいました。
先輩の地域おこし協力隊の方が未来塾に入っていて、飼育以外のことを学ぶ機会が欲しいなと思い、未来塾の活動を通して地域おこしってどういうものなのか、どういう手法があるのかを勉強しようと思って入りました。
サケの魅力を伝えることがこの町のキーワードになる部分があります。サーモン科学館の魅力を発信することで、持続可能なまちづくりに繋がるようなことができたら良いなと考えています。
竹村 私の場合は事務局というかたちで行政として参加しています。以前から未来塾の活動には興味を持っていました。やはり若い世代がこの町を何とかしていきたいという思いが必要ですし、1人でできることは限られると思うので、仲間づくりというのは非常に大事だと思います。この活動を活性化することで、持続可能な地域づくりをしていきたいと考えています。
町の課題はどこにあると思いますか?
仁科 コミュニティスペースみたいな気軽に集まれる場所がないというところ。海に近いですし、低地なので標津町ハザードマップは出ているのですが、住民も意識を高めて防災に取り組んでいかなければなりません。また、今はやはりサケが少なくなっているので、限りある資源をどのように活用していくかという問題もあります。
漁師さんの活動で、鮮度をしっかり保ったまま出荷できるようにして、付加価値をつけるということをしています。そのような活動のPVを制作するなど、PRできればと思うところはあります。
竹村 行政サイドからの情報発信という部分が、まだまだ発展途上にあるのかなと思います。町の様々な課題のベースは人口減少問題にあります。これからを担う子どもたちが、町に残りたいと思えるような、仕組み作りが大事だと思います。サケの水揚げが減っていることに関しては、自然が相手のことなので難しい問題ではありますが、それならばどうしていくかということを考えていかなければなりません。コロナ禍で集まることが難しくなりましたが、我々にできることを考え取り組んでいきたいです。
どんな町にしたいですか?
齋藤 人口の減少を解決する一つの手段に関係人口を増やすことがあると思います。解決とまではいかないのかもしれませんが、人口の減少による衰退の緩和につながると思います。
未来塾がお世話になっている札幌のNPO法人の「ezorock(エゾロック)」というところの言葉で「いつものつながりが、いざという時の力に」というものがあります。今はSNSがあるので1度つながりを持った人と近くにいなくてもコミュニケーションがとれる時代です。
修学旅行などで標津にもたくさんの学生が訪れますが、1度ただ標津に来ただけでは関係人口になりにくいと思います。標津に来てもらって、私たちが町の魅力を伝えて関わることで、私たちの発信する情報に興味を持ってもらい、また来ようとか、何かあった時に連絡をもらえる関係を大事にする必要があると思います。そのような活動に取り組んでいきたいです。
標津町で育った子供たちがやっぱりいい町だねと言って、サケが帰ってくるみたいに1回外に出ても、この町の魅力に気づいて帰ってこられるような町にしたいです。
蔭山 都会に比べて圧倒的に選択肢がないというのが、私にとっては課題だなと思っています。子育てをするにあたっても都会であれば自分の理想とする教育をしている幼稚園に入れようとか、遊び場があるところに連れて行こうとか、色々な選択肢があってそれを選べますが、ここにはそれがありません。教育においてもそうですし、日常生活においても好きとか嫌いとか、良いとか悪いじゃなくてそこしかないとなると、未来の選択肢も狭めてしまうことにつながっていくような気がします。
人生の中で色々な人に出会うことはすごく大事なことだと思います。都会と比べると出会える人数も圧倒的に少ないです。そこで道外から移住してきた私たちにできることがあるのかなと考えています。こんな大人もいるよねとか、町外から来ている人たちのキャリアを見ると面白かったりするじゃないですか。子供たちにこういう世界もあるよとか、こんな仕事もある、こんな人もいる、世界は広いんだよということを教えていく中で、最終的に選ばれる標津になってほしいと思います。そこの魅力づくりがカギになってくるのではないかと思っています。
子供に将来は地元に残ってほしいですか?
蔭山 私はできるだけ出したいです。無理に出そうとは思わないですが、選択肢があるよということは親として提示してあげたいと思います。それを選ぶのは子供次第ですし、ここしかないからここにいくんでしょみたいなことは避けてあげたいなと思います。
就職もできれば都会でしてみて欲しいです。仕事の種類も圧倒的に違うので、その中から自分に合ったものを選ぶのが一番ですし一番幸せなことです。その経験やスキルが財産になるのだと思います。
これからの時代は場所を選ばすに仕事ができるようなことが増えてくると思います。メインは標津で生活しながら、何かある時に東京や札幌に出向くというような時代に、たぶんなってくるのではないでしょうか。
齋藤 私も外には出てほしいです。仕事も経験して欲しいです。もし戻ってきたいなって思ったら自分の身につけたスキルを活かして仕事するのも良いですし、仕事を続けながらテレワークということもできる時代です。戻って来られる環境を整える、地域を存続させるのが私たちの役目です。
蔭山 仕事が8割、残りの2割をこの町の未来のため、仕事で身につけた経験やスキルをこの町のためにも使ってくれたら親としてはうれしいです。経験やスキルなど持って帰ってきたものは自分にも、この町の財産にもなると思います。
標津の魅力ってなんですか?
齋藤 やっぱり人ですね。なければ作れば良いという考えの人たちが、実際に行動を起こし活動しています。
標津漁師会という漁業を担っていく次世代のために魚介類の魅力を広めているグループがあったり、DJが集まって音楽を流してお酒を飲みながらみんなで集まれる場を作ってみたり、漁師のお母さんたちやガイドさんなど、動き出すパワーがすごいなと思っています。
蔭山 あくせくしないっていうのはあります。自分の暮らしを大事にできると思います。東京にいた時は働くことがメインで暮らしは二の次でした。働くことがメインであとは寝て食べて、お風呂入ればいっかみたいな生活です。標津に来て酪農業をやっているので、休みもないし生き物相手なので、それほど融通はきかないですが、それでも牛と共に暮らす、暮らしの部分が人生のメインになってきました。東京では仕事が生きがいでしたが、これからは暮らしっていう部分を大事にしていきたいなって思っていたので、標津はそれができる町で良かったと思います。暮らしがとても豊かです。
仁科 景色一つ一つがすごく綺麗で知床連山が見られたり、海の向こうには国後島があって季節によって色が変わるなど、自然と一緒に暮らしている感じがすごく良いです。
北海道の中では少し知名度が低くて、東の果てなので遠いイメージがありますが、隣町に中標津空港があるので東京札幌にアクセスできます。
もちろん自然の脅威も、まざまざと感じます。それでもなんとかなるべっていう精神が本当にあって、水道が凍ったりですとか、道路が凍ったりもあり、都会から見たら非日常的なことが日常的にあります。都会だったらすごく雪が降ってしまうと公共交通は止まっているけど遅刻しないように仕事に行かなきゃですが、こっちでは「家のことやってからでいいから職場に来なよ」みたいな温かさがあると思います。自然の良さと人の良さがミックスされた町だと思います。
竹村 やはり自然環境です。何しろ海も山もありますから。それと人です。人口が多ければ多くなるほど1人の力は埋没していきます。人口が少ないとそれぞれのがんばりがわかりやすく、自分がやったことで何かが変わったということが感じやすいので、主人公になりやすいのだと思います。
この町にはまちづくりに真剣に取り組んでいる人がたくさんいます。それが町の力でもあり、魅力だと思います。
関係人口を増やす維持する取り組みはどのようにお考えですか?
竹村 町民が関係人口に興味を持ち、繋げていく意識を持った人が増えれば増えるほど関係人口は増えていきますし、関係が維持できます。それは誰かがやれば良いということではなく、みんなでやるべきです。そうして繋がった方が標津に愛着を持ってくれて、ふるさと納税で陰ながら支えてくれたりするような輪を広げていくのが、活動の大きなポイントだと思います。
仁科 コロナ禍で未来塾の活動ができていないところもありますが、他の地域と共通の問題を一緒に解決していくような仕組みがあったらいいなと思っています。
昨年、喜茂別町のコミュニティスペースを視察に行きました。そこにも都会から来た夫婦がいらっしゃったのですが、喜茂別町は教育機関が中学校までしかなく、標津以上に深刻な悩みを抱えていました。どこの地方も同じような悩みを抱えていると思います。そういった問題を共有し、一緒に考え解決に向け取り組んでいく、そういった関係を継続していくことが必要です。
今までは関係人口を考えながらも、新しく広げる取り組みが中心でしたが、今までお会いした団体との関係をもう一度見つめ直し、熟成させることも必要だと思います。同じ視察先でもテーマが変われば、新しい学びが得られます。そういった活動が関係の維持につながっていくと思います。
齋藤 町民誰かのファンになってくれる人がいて、あの人何やっているのかなとか気にしてもらうことも関係人口の創出に繋がると思います。
その人がもし移住を考えていたら、相談できる窓口にもなりますし、関係人口が町の人口増になることもあるかもしれません。未来塾ひとり一人がそのネットワークの先端になる活動ができれば良いと思います。