元国務大臣 参議院議員 鈴木 宗男(すずき むねお)
私は昨年10月1日から4日までロシアモスクワを訪問しました。私のライフワークは北方領土問題の解決、日露平和条約の締結であり、水産漁業交渉、エネルギーの安定供給等、日露関係が良好でなければなりません。
外交で大事なのは「隣国との関係」であり、1万キロの距離を隔てるアメリカと日米同盟を結びながら隣国である中国、韓国、ロシア、北朝鮮といった国々と喧嘩をしていて日本に先はあるのかを冷静に考えねばなりません。地政学的にも隣国との関係は日本の死活問題だと私は考えています。こんな時だからこそ誰かがパイプを繋いでおかなければならないと思い訪露しました。
今、日露関係は戦後、最悪の状態です。誰かが首の皮一枚でも日露を繋がなければならないと思っております。もう一つは元島民の思いがあるからです。1万7千291人が引き上げてきました。今、残っている人は5千2百人足らずで平均年齢は88.2歳です。
私は一番元島民と会っている政治家です。いつも言われるのは「元気なうちにもう一度、先祖の墓をお参りしたい。元気なうちに自分の故郷を見たい」私はその言葉を聞き、その思いを果たしたいといつも心しています。
10月2日、ロシア外務省のルデンコというアジア・日本担当の外務次官に会いました。外務次官は「鈴木先生、北方領土の墓参は1986年から再開された時の枠組みは残っていますから、日本がロシアに対して要請してくれれば、我々は受けます」と言ってくれました。これは大きな成果です。ロシアはきちんと人道的に配慮をしてくれているわけです。
それから日本にとってはロシアとの漁業交渉があります。さけ・ます漁業交渉や貝殻島の昆布交渉、安全操業や日露地先沖合漁業交渉があります。今、日露関係がよくないので、日本は魚がとれません。なんとかこれも再開してほしいとお願いし、おかげさまで日露地先沖合漁業協定によってロシアの船も日本側に来て魚をとる日本の船もロシア側に行って魚をとれるという妥結はしました。
もう一つ大きな成果があります。10月6日、ロシアのソチで開かれたバルダイ会議において、笹川平和財団の畔蒜主任研究員の「今の日露関係は由々しき事態で深刻だ。プーチン大統領はどう考えるか」というプーチン大統領への質問に対して、プーチン大統領は「ちょっと待ってくれ。我々ロシアは何もしていない。経済制裁等をしてきたのは日本ではないか。喧嘩を売ってきたのは日本ではないか。その日本が窓を開けてくれ、話し合いをしてくれと言うならば、私は受ける用意がある」という趣旨の回答をしました。この発言は、私がロシアに行ったから繋がってきた発言と思います。
私はロシアで様々な要人と会い、ルデンコ外務次官やガルージン外務次官(前駐日大使・現ウクライナ担当)、コサチョフ連邦院副議長、カラーシン連邦院国際問題委員長など、みんな長い付き合いであり、プーチン大統領にストレートでものを言える人たちです。間違いなく私はロシアとの首の皮は繋いできたと思っております。
外交は積み重ねです。厳しい時こそ誰かが行かねばならないし対話をしなければならない。私は日本の国益のために信念を持ってやってきたし、これからもやって参ります。
安倍総理が亡くなったということは、あってはならない大きな負の出来事でした。2018年11月、シンガポール合意が交わされましたが、あの安倍総理の決断には私も関わった一人です。お互いに歩み寄りながら少しでも有利な状況に持っていくのが、強(したた)かな外交だと考えます
政治家にもいろいろな意見があるでしょうが「一にも二にも停戦だ」と言い続けている政治家は私だけです。これからも終わった後の「出口」を見据えて取り組んで参ります。
ロシアでガルージンウクライナ担当外務次官から聞いて驚いたのは、去年の4月15日にウクライナが出した停戦和平案に、ロシアは署名しようとしましたが、4月15日の朝、ウクライナが取り下げたという事実です。
アメリカ、イギリスが、ウクライナを応援するから停戦せず、戦えという圧力がかかったそうです。ウクライナから出した停戦案にロシアが署名しようとしたのに、ウクライナ側が取り下げたという事実は正確に伝わっていません。もっと驚いたのは、一去年の10月4日、プーチン大統領とは「和平、停戦の話をしない」という法律を作り、ゼレンスキー大統領自らそれに署名をしていることです。自分で自分の首を絞めているわけです。本当にウクライナ国民のことを考えているならば、話し合いに応じるのが一番だと思います。ガルージン外務次官は、「ロシアは平和を望んでいます。ロシアが好んでウクライナを攻めたのではない。ゼレンスキーが余計なことを言ったが故に我々は対応しただけの話です」と言っていました。何かと言うと、2021年10月23日、ゼレンスキーはロシア人が住んでいる地域に自爆ドローンを飛ばし、その時、バイデン大統領は、「ロシアが攻めるぞ」と煽(あお)るわけです。
本来、アメリカの大統領であれば、「プーチン大統領、ここは自制だ。」と言うのが筋ではないでしょうか。
そして2022年2月19日です。ヨーロッパ安全保障会議にゼレンスキー大統領はオンラインで参加し「ブタペスト覚書を見直し、再協議をしろ」と。
1991年にソ連が崩壊しました。その時ソ連の核兵器はウクライナにありました。それから2年が経ち、テロリストに核兵器が渡ったら大変だということで、管理をしっかりしなければいけないとアメリカ、イギリスが声をかけ、ロシア、ウクライナが入り、さらにベラルーシを加え、話し合って決めたのがブタペスト覚書です。その覚書では、ソ連の継承国はロシアで、ソ連の核はロシアに引き継いで管理してもらう、ということが決まりました。それを見直せということは、核をウクライナに戻せということですから、プーチン大統領は、2月21日に安全保障会議を開いて、核をウクライナに持たせるなどということはとんでもない。ならば先にロシアが特別軍事作戦をすると表明しました。実際に2月24日に特別軍事作戦を展開することとなります。
なぜ紛争が起きたかの歴史的事実をしっかりと踏まえてもらいたいと思います。
さらにミンスクⅠは、今から10年前、2014年に、ロシアとウクライナ、ドネツク、ルガンスクとで停戦合意した。ところが、合意したけれども、ウクライナはロシア人が住んでいる地域に攻撃をし、ロシア人は何千人と亡くなっています。ミンスクⅠで治らないから、翌年2015年に合意したのがミンスクⅡです。ここにはドイツ、フランス、ロシア、ウクライナが入っています。ここで停戦が決まりました。ところがゼレンスキー大統領は、当時のウクライナの大統領であるポロシェンコが署名したものだから、自分が署名したものではないとミンスクⅡ合意を反故にします。これでウクライナ、ロシアの関係はさらに複雑化しました。このミンスクⅠ、ミンスクⅡができてからも、1万4千人亡くなったと、ヨーロッパ安全保障会議が発表しています。ところがガルージン次官によると、2万人近い同胞が犠牲になっているという話です。そして一昨年来のウクライナからの攻撃や、2022年2月19日の安全保障会議でのウクライナに核を持たせろという話に繋がり、これが歴史の事実です。
ゼレンスキー大統領はウクライナ国民のことを考えているのか疑問です。アメリカやイギリスに都合よく使われていても、犠牲になるのは国民です。これをやめさせるために日本が立ち上がるべきです。
私はもっと日本には日本の立ち位置があって当然と思います。インドのモディ首相は、プーチン大統領にも、バイデン大統領にも物を言っています。是非、岸田総理には、日本には北方領土問題、平和条約交渉があり、アメリカの価値観では解決できないという立場で立ち向かってほしいものです。
私がロシアに行ったことが後々の大きな国益につながったと、5年後、10年後の歴史が必ず証明してくれると信じてこれからも与えられた立場で頑張っていきます。
元国務大臣
参議院議員 鈴木宗男
1948年1月31日、北海道足寄郡足寄町大誉地生まれ。1969年9月より衆議院議員中川一郎秘書を務め、その後1983年衆議院議員初当選し、以降8期当選。防衛政務次官、外務政務次官、自民党副幹事長、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長、国務大臣 北海道・沖縄開発庁長官、内閣官房副長官、自民党総務局長、自民党北海道支部連合会会長、衆議院議院運営委員会委員長を歴任。2005年新党大地を結成。2019年参議院議員通常選挙当選し9年ぶり国政復帰。