少年野球に監督として携わり全国大会へと導いた道のり

少年野球に監督として携わり全国大会へと導いた道のり

困難と挑戦 ─ 全国大会出場とその道のり

困難と闘いながら子供たちと歩んだ15年

インタビュー:中野 康志(なかの やすし)
中標津ホルスタイン野球少年団 元監督


昨年全国大会へ出場した中標津ホルスタインの監督を務めていた中野氏に、子供たちと歩んできた困難とチャレンジの15年を振り返っていただき、全国出場を果たした思いを聞いた。


監督に就任した経緯をお聞かせください

16年前に息子が中標津ホルスタイン野球少年団に所属しており、指導者ではなく親としてサポートに従事し、育成会の学年部長を務め、息子の卒団と共にその役割を終えました。当時はまだ学校の先生が指導者を務めている時代でしたが、たまたま指導者不在となった学年があったことから子供たちが困ることを避けるため指導者を務めることになりました。そこで指導者として再度関わることになり、それから15年間指導者として活動し、昨年の11月に子供達の卒団式が行われた際、私も一緒に区切りをつけて役目を終えさせていただきました。

就任当初は、簡単に勝たせてあげられることができるという甘い考えで始めましたし、勝ち負けよりも子供たちの育成に焦点を当てていました。少年団で子供たちを指導する際には資格があった方が良いと考え、認定指導員の資格を取得し、子供たちの健全な育成を重視して、その上で指導を行っていました。子供たちが楽しく、健康的に野球を楽しむために厳しすぎる指導ではなく、子供たちに無理な負担をかけないよう心掛けました。当初から、昔ながらの指導スタイルはあまり好ましく思っていなかったので、目指していたのは「楽しく、強いチーム」を築くことでした。

しかし、初めて指導に携わった年の子供たちには、全道大会を味わわせることができず、少年野球の指導は甘いものではないと痛感しました。子供たちに指示を与えれば勝てるだろうと甘い考えを抱いていましたが、実際にはそれが難しいことで、子供たち全員の技術レベルを上げ、戦術を習得させ、誰が出場しても活躍し勝てるチームを作るということは非常に難しいことでした。約20人の子供たちを預かっていましたが、そうした難題に正面から挑戦しながら、全員が活躍できるチームを目指し、指導に取り組んできました。

小学校から高校にかけての野球の場において、少年団や部活動は子供たちが野球を学び、成長する場です。仕事があるため、平日は終業後に週末や休日は朝からグラウンドに足を運び、暗くなるまで練習を見ました。当然1人では全てを見きれませんので、一緒に指導してくれる指導者が必要でした。しかし、指導者の確保はそんな簡単ではありません。それは、仕事を持ちながら平日、休日を通し自分の時間を割いてでも預かった子供たちと真剣に向き合い野球指導を楽しみたいと思ってくれる人材というのは中々いないもので、さらにその家族の理解を得ることも必要でした。そんな中でも根気強くお願いをしながら協力してくれる指導者を確保してきました。

また、指導者の確保とともに、少年団として活動していく上で保護者間の温度差(考え方)にも悩みました。保護者たちの期待や意見の差異をどう捉え、それを踏まえてどういう方向に進んでいくかが課題でしたが、悩みながらも進んでいくしかありませんでした。

おもいきったチーム編成と指導スタイルを変えたとお聞きしました

チーム編成の方法や指導スタイルというのは、1つではありません。過去から試行錯誤しながらきましたが、最初の頃は1学年で1チームを結成できる状況でした。そのため、各学年ごとにAチーム、Bチーム、Cチームといった形で編成していました。この形態は12年ほど続けてきました。

しかし、少子化の影響で子供の数が減少してきており、昔は野球やバレーといったスポーツに偏っていましたが、子供たちが様々なスポーツに興味を持つようになり、現在は様々なスポーツが選択肢としてあります。これにより、野球を選ぶ子供の数が減ってきていました。

東小学校はそれほど影響を受けなかったものの、全道の指導者仲間と話す中で、他の地域では既に単学年ではなく、異なる学年を組み合わせた多学年でのチーム編成が大半だと聞いていました。この流れは必ず我が地域にも影響を及ぼすだろうと予測し、それに対応するために単学年ごとの編成ではなく、多学年でひとつのチームに統合する形に改革を試みたのが13年目でした。

単学年でチームを作ること自体はまだ可能な段階ではありましたが、各学年10人程度と、すでにギリギリの状況が出始めていました。公式戦(道大会)に出場するには最低10人が必要であり、怪我などの事態に備えて代わりの選手も必要です。このため、思い切って単学年ではなく、他の学年のメンバーも一緒にプレーする形態に変更しました。これにより、卒業後も同じメンバーが経験を積み重ね、新たな同学年の子供たちと共にプレーすることで強さを維持し、持続可能な状態を作り上げることができるようになりました。

しかし、改革にはデメリットもありました。過去、単学年で活動をしてきたという経過の中で、多学年での活動へ変化するということに違和感を唱える父兄の方もいましたし、自分の子供が試合に出ない代わりにその下の学年の子供がプレーする構図に対して、強い抵抗感を抱いた方もいらっしゃいます。この反発はある程度予想していましたが、予想を超えるものがあり、かなりの困難を伴いました。しかし、目標を崩さずに進むことが重要であり、そこでぶれることなく進む決断をしました。そのことがきっかけで退団したご家庭もありましたが、残ったメンバーの子供も保護者方も目標に向かい、チーム全体が一致団結しやすくなりました。

野球を通じた子供たちの育成においては、少子化の波が影響しています。少年団は幅広い層を受け入れる一方で、クラブチームは特定の目的に向けて進むため、より狭い範囲で活動しています。中標津町にはクラブチームがないため、子供たちが目標として掲げた高い目標に向かっていく中では、少年団というスタンスを守りつつも、道内クラブチームに対抗できるようなチームを作ることに挑戦していました。

子供たちもその目標に向かって一生懸命努力しましたし、父兄の方々も献身的な努力をしてくれました。指導者も子供たちや父兄たちと真剣に向き合い、以前は混乱していた状況を改善しようと努力しました。進んでいく中で様々な難題もありましたが皆で一層の努力を重ねたことが、結果につながったと思います。結果を残すという成功体験が、全ての関係者にとって大きな学びとなりましたね。

幸い、様々な要因がうまく組み合わさり、良い方向に進んでいったんです。これによって目標を達成することができ、快挙を遂げることができました。

他にも2年前に食トレ(食事トレーニング)を導入しました。その時期、酪農で生産抑制がかかり、消費拡大運動も盛んだったため、秋から春までの間の休日練習時に体づくりのためにも牛乳をいつでも自由に飲めるようにしました。その効果はあったと思っています。

練習メニューもこれまでの経験や知識から、どうすれば強いチームとも対等に試合できるようになるかを分析し改善してきました。

学童野球は1人のピッチャーが1日に投げられる球数に制限があり、5年生以下は60球、6年生は70球というルールがあります。2試合あると1人ではすぐに投げ切ってしまいます。ピッチャー2人でも厳しいことから、最低でも3〜4人の軸となるピッチャーを育てることが必要です。また、打撃練習のメニューも工夫し強化しました。幸い、うちのチームには育成会所有のビニールハウスがありますので、冬場の練習で反復し取り組みました。グラウンドに出てからは、保護者にお願いをして、遠征に出させてもらい実戦練習を多く取り入れました。

また、メンタル面の調整も不可欠です。100%の力を発揮できるか、50%で終わるかによって勝敗に大きく影響します。子供たちのモチベーションやメンタルの持ち方などについて座学の中で何度も何度もやり取りをして、ひとつひとつ取り組んできました。

さらに指導者間の意見交換をほぼ毎日行いました。コロナ禍の影響もあり、今ではスマホを使って自宅で対面で会議することができます。練習方法やその日の練習の子供たちの様子など常に情報の共有を行いました。指導者間において情報の共有、意思疎通が取れていないと、子供たちに対して異なる指導をしてしまい混乱が生じることもあります。指導者間で真剣に議論し、協力し合いながら子供たちと向き合ってくれたおかげで、北北海道大会での優勝や、2年連続3回の全国出場という成果につながったと思っています。

改めて全国大会出場を振り返ってお話をお聞かせください

運を引き寄せるというのも強いチームのひとつの要素だと思いますが、今回の網走で行われました全道大会の1回戦で対戦したチームは、優勝候補筆頭の強豪チームでした。結果的には3対2、1点差で勝利しましたが、恐らく周りの戦前予想では、ホルスタインが勝つとはほとんどの人が思っていなかったでしょう。2回戦で対戦した相手も優勝候補とされていたチームで、過去に1度も勝っていないチームでした。練習試合を何度かやっていましたが、全敗していました。しかし、この試合も5対4、1点差で勝利するという、まさに神がかったような勝ち方をしました。そこを突破したあとの準決、決勝の2試合はそこまで厳しい試合とならずに優勝することができました。

全道の強豪チームと対等に戦い、1点差ゲームという接戦を勝ち上がって行く「心の強さ」が相手を上回り、優勝までの4試合をしっかり戦い、勝ち抜くだけの経験、体力、技術、戦術、精神力を身に付けたホルスタインの子供たちを本当に誇りに思います。

子供たちと父兄の皆様に良い思いをしてもらうことができて、最高の気分です。最初は夢の夢だった「全国大会(神宮球場)出場」が、進んでいくうちに夢ではなく目標となり、それを達成できるかもしれないという手応えを感じ、そしてそれが現実になりました。

目標をきちんと定め、その目標を達成するためのプロセスを大切に効率よく練習をし、実戦経験を踏ませることでこの地域の小学生でも全国出場を果たせるということをホルスタインの子供たちが証明してくれました。

高校生にとっては甲子園出場が大きな夢と言えるでしょう。同じように学童の甲子園と言われる全国大会(神宮球場)に出場できて、本当に感動しました。

(取材/2024年1月18日)


6年生の卒団と共に自身も勇退された中野氏。氏が子供たちにおこなってきた指導スタイルは、野球だけではなく、将来に必ず活かされることが多かったのではないだろうか。